
我妻公子は武蔵野音楽大学在学中それなりに音楽の勉強をしたとかで、能楽師観世栄夫先生の指揮監督という指導で(ちなみに観世栄夫先生の葬儀で武蔵野音大の魔笛の演出が先生の実績と記載があった。)
「モーツァルトの歌劇、魔笛」を甲斐正夫教授の指導で邦語訳して全曲の公演を企画し、大学に出来たばかりのモーツァルトホールで公演し参加したとのこと。邦語魔笛は本邦初演で、再演のない筈と誇り高い。
卒業後1年間市川市にある日の出学園の小学校の音楽教師を努めた後、荒川区東日暮里の実家に居て近所の子供達にピアノを教えながら自らはバッハを中心とするバロック音楽の表現をピアノで極めること、と身体全体を楽器とする人間の声の美しさを極めたい、とそれなりの訓練をして充実した生活であったとのこと。
命の糧をクラシック音楽と信じてこれが極め得て、親孝行の一石二鳥を夢見て、私と結婚していた様子の妻公子が育児に直面すると音楽を全部忘れ去って育児に専念していた。

