
高校の教科書で教わった山上憶良の和歌が思い出される。
生まれて間もなく子を亡くした憶良の歌三首
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗はめば まして偲ばゆ
いづくより来たりしものぞ 眼交にもとな懸りて 安眠し寝さぬ
銀も金も玉に何せむに 勝れる寶子に及かめやも
若ければ道行き知らじ 賄(まひ)はせむ 黄泉の使負いて通らせ
この歌は、明日の我が生命でさえ定かならぬ時にあっても今、ヒシヒシと胸に迫るものがある。
高校一年生の私は親の子を思う、慈しむ気持ちよりも「賄はせむ」世にワイロというものがあって(そんなシステムの新知識の嬉しさと)子の為なら親は悪いことでもするものかと不思議な新鮮な感慨が思い出される。
万葉の昔、我御先祖さまが憶良の歌う、ご両親で痛ましい子のことを語り合う夫婦の会話の世界が子の成長を目を細くして喜びに満ちる両親の会話の時期が一日でも早く至らんことを切望する。
我国の殆どの家庭で3~4人の子を産み育てる事が当然の収入が、我国の両親に得られる国家の構造の一日も早く至らんことを願って母子手当、育児手当を提案しておく。
日本の母は無償の愛を以って子を慈しんだ。だからこそ子らは百死零生の特攻で敵艦に体当たりするとき皆お母さんと雄叫ぶと共に散華されたときく。
切なさに思い余るものがあるが親の兄弟の家族の平穏な生を求めての儚い、切ない親孝行であったろうかと思う。心からなる哀惜の心を散華された勇士に捧げる。
万葉を下る数百年、中国から渡り来た孝教は我国家庭生活の聖典であって、奈良時代末期、孝謙天皇は孝経一巻を各家庭に配布された様子が詔から伺われるとのこと。
身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。
道を行い名を後世に挙げ父母を顕すは孝の終わりなり
我国の子供たちが母親を姥捨て山に捨てることなく施設という名の現在の姥捨て山に捨てることなく孫子で両親への感謝を以って三世代同居で日本の母たちが日本に生まれて幸せであったと心から祖国讃歌を歌ってくれる日の一日も早からんことを願っておく。
そうすればーそうなれば
国家が母子手当や育児手当を支払うこともない筈だ。
即国民が等しく両親で3人4人の子供を育てられるような収入の得られる国家構造をつくるその時までの時限立法での母子手当、育児手当の提案である。

